出生1950年
没年ーー
在任アムルースク管領/1975年〜2006年
北アフリカ総官/2006〜
称号ーー
宗教ーー
概要
アムルースク=オスマン帝国(権力を持っていた)最後の管領。
コンスタンノス二世崩御に伴い、アハミト一世の後見人となり更には大宰相代理も兼任。
レヌール・パシャ政権を築いて帝国の事実上の元首へと上り詰めるも2006年に現在の大宰相ロンメルによってその栄華は崩壊させられ、レヌールは失脚し、イスタンブールより左遷させら北アフリカ総督府へと送られた。
本名は「テューダー・レヌール・パシャ」

経歴

内紛と父の死

1950年アムルースク=オスマン帝国、イスタンブール郊外のエディルネにて生まれる。
当時のテューダー家は帝国内の実権を握っていて、コンスタンノス二世が病気がちなのをいいことに、テューダー家はアムルースク国政を握っていたのである。
1950年代のテューダー家家は内紛が続き、当時の当主、テューダー・エリックが暗殺されると、彼の養子のアレス、イブール、スミスの三人が対立。
アレスとイブールらエリックの養子とテューダー分家のスミスが対立し、アムルースク管領の座と当主の座を巡って内紛を開始。
そんな中、スミスの元に生まれたのがレヌール・パシャことレヌールである。
1956年、スミスがアレス・イブール陣営に敗北し処刑されるとその意地であるレヌールを狙ってアレスがエディルネに進軍。
レヌールは少数の家臣と乳母らと共に父の故郷であるキプロスへ命からがら逃亡することになる。
レヌールが再びエディルネの地を踏むのは26歳となった1976年である。

再内紛と管領就任

1970年代、スミスをぬっ殺したアレス・イブールらが対立。結果的にはイブールが勝利し、アレスはぬっ殺される。
養子内紛を制したイブールはコンスタンノス二世より管領に任命される。
イブールは独自の政権を築き、アムルースク国政を掌握した。
しかしこれに黙っていられない人物も何人か現れ、その筆頭的存在がスミスの遺児、レヌールである。
レヌールはエルヴィン・ヴィトンらを味方につけ、
1970年〜1975年にかけて追い込まれていったイブールは最後の足掻きとしてエディルネでレヌール軍を迎撃するも、内部からの裏切りに会い、敗北。
イブールはエディルネ郊外に逃亡し近くの村の家に隠れるも、エルヴィン・ヴィトンの奇策(村の子供に「イブールっていうおじさんを見つけたらお菓子をあげる」という子供を買収するという奇策)により発見。
イブールは自害という形で始末され、レヌールが内紛に勝利。アムルースク国政を掌握し、管領に就任。帝国官僚のトップに経つ。

管領就任と内紛

1975年には管領に就任したレヌールだったが、一つ不安な要素が存在していた。
それはレヌール勝利に多大な貢献をしたエルヴィン・ヴィトンなどの家臣である。
レヌールはこれを自身の弊害になると考え、民衆の暴動を煽ってエルヴィン・ヴィトンを始末する。
しかし民衆の暴動が収まらず、さらにその暴動には暴動をぶつけるという暴力で解決するという脳筋ぶりを発揮する。
そしてこれに黙っていられない人物も何人か現れる。その筆頭的存在がエルヴィン・ヴィトンの遺児エルヴィン・ロンメルである。
因果は回るということでレヌールはなんと昔、自分がヴィトンとイブールに行ったことが自分に返ってきたのである。
2006年、帝国官僚ロンメルの策略により失脚。
大宰相に就任したロンメルによってイスタンブールより事実上の追放処分に下され、左遷させられた。
現在は北アフリカ総督府へと送られ、総官の一人として働いている。
レヌールの子供であるウィンストンはイスタンブールのロンメル管理下に置かれ、事実上の人質となってしまった。

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