※このページは正親町事変?以後の豊後帝国について記述しています。それ以前については日本列島の歴史?を参照してください。

14世紀

正親町事変?と日本の分裂

1560年、天下を狙う今川義元は京を目指し上洛を開始する。一方その頃、門司城の戦いで安芸国の毛利家は大敗。毛利元就を初め吉川元春、小早川隆景、毛利隆元、村上武吉など諸将が討死。豊後の大友家はそのまま毛利旧領を飲み込む。
1561年、今川義元は尾張の織田を蹴散らし、清洲城に入る。その頃豊後の大友家はたった1年で電撃戦を繰り広げ、九州探題に任ぜられると共に九州を統一。
1562年、今川義元は1度駿河に退却。これは北条家の裏切りによるものであった。豊後の大友家は四国の河野、宇都宮、西園寺、一条、長宗我部、安芸、本山を下す。
1563年、武田今川上杉の連合軍が河越城を包囲。
これに対し北条氏康、北条綱成が僅かな手勢で夜襲を仕掛ける。この夜襲に成功し、上杉謙信、武田信玄は命からがら逃げ帰るも、東海一の弓取りと言われた今川義元は討死。今川家はそのまま追い詰められる。大友家は三好家を四国から追放し、中国四国を統一。畿内に流れこもうとしていた。

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