1865年にエドワード財閥の前身組織、
エドワード商会が創設された。
1864年にオスマン皇家よりエドワード・オスマンが臣籍降下し皇族の身分を捨て、一般市民へとなった。臣籍降下時に、帝国政府より一億ap(日本円にして一億円)を授かったエドワードは、その一億を商会の創設金として使用、エドワード商会を開設した。商会が最初に選んだ事業は海運業や銀行業であった。1865年当時のアムルースク=オスマン帝国では本国(バルカン半島〜アナトリア半島)では銀行業などの金融機関が盛んであった。
しかし、北アフリカ領やアラビア半島地域は金融機関が全く存在しておらず、アフリカ北部に住む国民たちは預金などに困っていた。
オスマン家出身であるエドワードはそういった事情をよく理解しており、帝国の中心地である、イスタンブールやアンタルヤなどの帝国本土より遠く離れた北アフリカ領エジプトのカイロに商会の本社を置いた。
カイロのアフリカ本社
1866年、カイロにて
北アフリカ銀行(後のアムルースク帝国銀行)が設立。
北アフリカの人々達は最初は銀行というものをよく理解出来ていなかったものの、エドワードら商会幹部ら、銀行の積極的なPR活動で北アフリカ領の全土に広がって行った。
また、銀行業の他にも、地中海や黒海、アラビア海を重視した船舶や貿易などの海運業でも富を築き、1882年には北アフリカ一の企業へと成長していた。
1893年6月までに国内あったほぼ全ての中小企業の株を独占。7月にはオスマン帝国政府より保護を受けることになる。
1894年5月にエドワード商会を基盤としたエドワード社が設立。
これを持株会社として貿易、鉱業、鉄道、海運業、銀行業などを独占し、名実ともにアムルースク=オスマン帝国一の企業へと成長した。