2005年12月〜2006年4月にかけてロンメル政権は最盛期を迎え父ヴィトンを超える勢力を帝国内に築く。この頃には管領代に任命され同時に大宰相にも就任している。
これによりアムルースク国政の指導者となり帝国政府の実権を握ったのである。
2010年にもなるとかつてのレヌール・パシャ、さらにその側近たちもロンメルの実力に屈し、オスマン宮廷、政府内でのロンメルの権勢は大きく向上した。また財政難であったレヴィン総教にも献金を行ったりと宗教保護にも積極的に活動している。
2014年には息子のマンフレート、叔父のエルヴィン・ゲルハルト、ヨハネス、アーウィン、ガルデンら兄弟達と帝国建国715年記念式典に出席している。
この頃より
極東の果ての国の文化にどハマりし和服を着用し始めている。
2019年3月18日に嫡男であるマンフレートに家長の座を譲り半隠居する。(引き続き大宰相は務める)
同時にトプカプ宮殿改修もありオスマン皇室はエディルネのアドリアンノープル宮殿へ移ったが、ロンメルはアドリアンノープル宮殿へは移動せず、本領であるブルサの私邸へ拠点を移した。