架空国家第5世界線 - ハレム

概要
ハレムは、アムルースク=オスマン帝国の制度である。
オスマン帝国の皇帝の為に用意された制度であり、女性しか入れない。また、オスマン・トルコ語で「女性の居室」を意味する言葉でもある。
ここでいうハレムは、オスマン帝国の制度を説明する。

オスマン帝国のハレム

概要
アムルースク=オスマン帝国でのハレムは、主に戦後捕虜や売買される奴隷の女性で構成されていた。君主権が絶頂化した15世紀のオスマン帝国では、皇帝は正規の結婚はしなかった。かわりに、ハレムというものがあったからである。
ハレムでの生活
戦争捕虜や、貧困家庭からの売却によって奴隷身分となった女性たちはイスタンブールで購入されると、イスタンブールの各所に置かれた君主の宮廷のひとつに配属され、黒人の宦官によって生活を監督されながら歌舞音曲のみならず、礼儀作法や料理、裁縫、さらには詩などの文学に至るまで様々な教養を身につけさせられた後、侍女として皇帝の住まうトプカプ宮殿のハレムに移された。

また、ハレムでは常に「誰が皇帝の息子を産むか」を争っており、誰がいち早く産むことによって皇帝の側室になれるかの女のバトルが繰り広げられた。
皇帝の息子を産んだハレムの女性は「側室」となり、イクバル(幸運な者)と呼ばれ、皇帝から私室を与えられ側室の身分となる。

さらに後継者となりうる男子を産めばハセキ・レヴィオンと呼ばれるが、皇帝は原則として彼女らと法的な婚姻を結ぶことはなく、建前上は君主の奴隷身分のままであった。スレイマン1世の夫人ヒュッレム・スルタン(ロクセラーナ)は、元キリスト教徒の奴隷から皇帝の正式な妻にまで取り立てられた稀有な例である。
ハレムの横暴
17世紀〜18世紀にかけてのハレムは、オスマン帝国の政治にまで関与するほどの組織化していた。
ハレムの女性達は皇帝の息子を産み、その息子が皇帝になると、その母となる。
母となった女性はハレムの女主人として扱われ、様々な権力を持った。
これが暴走し、政治にまで関与するほどの権力を持つことになる。
特に、18世紀のオスマン帝国ではそのことがよく見られた。
1899年9月15日、オスマン帝国にて「ハレム号令」が皇帝の勅命で出される。
ハレムの女主人の権力の縮小や母皇后の政治関与禁止などの改造が行われた。