1975年には管領に就任したレヌールだったが、一つ不安な要素が存在していた。
それはレヌール勝利に多大な貢献をしたエルヴィン・ヴィトンなどの家臣である。
レヌールはこれを自身の弊害になると考え、民衆の暴動を煽ってエルヴィン・ヴィトンを始末する。
しかし民衆の暴動が収まらず、さらにその暴動には暴動をぶつけるという暴力で解決するという脳筋ぶりを発揮する。
そしてこれに黙っていられない人物も何人か現れる。その筆頭的存在がエルヴィン・ヴィトンの遺児
エルヴィン・ロンメルである。
因果は回るということでレヌールはなんと昔、自分がヴィトンとイブールに行ったことが自分に返ってきたのである。
2006年、帝国官僚ロンメルの策略により失脚。
大宰相に就任したロンメルによってイスタンブールより事実上の追放処分に下され、左遷させられた。
現在は北アフリカ総督府へと送られ、総官の一人として働いている。
レヌールの子供であるウィンストンはイスタンブールのロンメル管理下に置かれ、事実上の人質となってしまった。